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東京2020オリンピック「直前企画」
オリンピックにおける「ソフトボール競技」戦いの軌跡
第7回 2004年アテネ・オリンピック(後編:金メダルだけを期待された戦い……辿り着いた銅メダル)

ついに……「勝負の年」オリンピックイヤーがやってきた!

「金メダルだけ」を期待される中で……やるべきことはやってきた

2004年8月14日、アテネ・オリンピックが開幕!

思うようにならない展開……これが「金メダル」のプレッシャーか???

「宿敵」アメリカに延長タイブレークで敗れ、早くも2敗目

カナダにも敗れ……1勝3敗となり、予選リーグ敗退の危機に直面

上野由岐子が「大一番」で「完全試合」を達成し、決勝トーナメント進出決定!

山田恵里の「レーザービーム」炸裂! 銅メダルが確定!!

決勝進出ならず……「金メダル」の夢が消え、「銅メダル」で終戦

 ついに……アテネ・オリンピックの年を迎えた。
 2月6日、「第3次海外強化合宿」(グアム)で日本代表の活動がスタート。例年、台湾で行っていた「地獄の合宿」をグアムのレオパレス・リゾートに場所を移して行った。酷暑のアテネを想定し、あえて「灼熱の地」を合宿地に選んで、選手たちを鍛え上げた。
 この「第3次海外強化合宿」には、22名の選手が招集され、この選手たちが「最終選考」の対象と位置づけられた。
 3月4日~11日、「第4次強化合宿」を沖縄県北谷町で張り、先の「第3次海外強化合宿」と同じ22名が招集され、ここでは男子チームとの練習試合を中心に実戦練習を繰り返し、実戦の中で個々の選手の動きや状況判断、場面に応じたプレーなどが厳しくチェックされた。
 同月17日~30日、「第4次海外強化合宿」(イタリア・ギリシャ遠征)を行い、ここでも「最終選考」に残った22名を招集。いよいよアテネ・オリンピックの「代表15名」を決める選手選考も「佳境」を迎え、19日~21日はイタリア代表とテストマッチ。3日間で6試合を行ったが、イタリア代表の主力数名が欠け、テストマッチは日本の6戦全勝。それも一方的な試合展開ばかりで「選手選考」の参考にならず、急遽、帰国後の日本リーグの第1節・第2節も「選考対象」とすることを決定した。
 25日~29日、アテネ・オリンピックで使用される会場で行われていたオリンピック・テストイベントを視察。自分が「日本代表」として再びこの地に帰って来れるかどうか……「最終選考」の立場にある選手たちは「複雑な心境」であったと思うが、敢えてこの「決戦の地」をその目で見ることが課せられた。この場所に来ることで「ナーバス」になってしまうような選手ではオリンピックは戦えない。「必ずここに帰ってくる」という強い意志を再確認できるような選手でなければオリンピックの「プレッシャー」には耐えられない。少々のことでは動じないタフな精神力がなければ日本代表の一員とはいえないと、これも「オリンピック代表選手」を決定していく上での「判断材料」の一つとされたのである。

 新年度に入った4月、日本ソフトボール協会は役員を改選。山﨑拓会長、尾﨑正則専務理事は再任されたが、選手強化本部長は艸田聰氏が勇退し、代わって三宅豊氏(現・日本ソフトボール協会会長)が副本部長から昇格した。三宅強化本部長は、現役時代、男子の「日本代表」として4度の世界選手権出場を果たしており、高校、大学、社会人とすべてのカテゴリーで「日本一」を経験している日本のソフトボール界の「伝説的な大投手」であり、「世界のレベル」を肌で知っている競技経験者が強化の「最高責任者」に就任したことには大きな意味があった。また、宇津木妙子ヘッドコーチ(現・日本ソフトボール協会副会長)も日本協会の「理事」に就任した。
 5月12日、女子強化委員会の席上でアテネ・オリンピックに臨む15名を決定。この15名を日本代表選手とし、理事会へ提案。同日午後、理事会で最終的な承認を受け、翌日の記者会見で発表することになった。
 5月13日、記者会見場に設定された赤坂プリンスホテルには、100名を超える報道陣が集まった。シドニーのときとは明らかに違う。「金メダルへの期待」というものはこれほどまでに大きく重いものなのかと、改めて感じずにはいられなかった。
 記者会見には、日本ソフトボール協会・尾﨑正則専務理事、宇津木妙子ヘッドコーチとアテネ・オリンピック日本代表に選出された選手のうち3人が同席した。
 報道陣に、代表15名の名前が記された資料が配布され、尾﨑正則専務理事が代表選手の名前を一人ひとり読み上げる形で発表を行った(アテネ・オリンピック出場メンバーはこちら)。

 6月12日~20日、「第1次国内強化合宿」(北海道倶知安町)を行い、アテネ・オリンピック代表選手15名を初招集。チームとしての「最終形」「完成形」が最終確認され、「詰めの作業」がはじまり、「仕上げ段階」に入った。アテネでのキーワード「機動力」がどんどん具現化され、チームとしての約束事やフォーメーション、連係プレーのポジショニングの確認など、微調整を繰り返す。男子チームとの練習試合では、このチームの持ち味である「機動力」を存分に発揮。グラウンド狭しとスピード感溢れるプレーを展開し、上々の滑り出しを見せた。
 7月3日~11日、カナダ・サレーで開催された「カナダカップ」に出場。2001年以来2度目の「優勝」を飾り、順調な調整ぶりがうかがえた。
 カナダから帰国すると、日本代表はすぐにその足で仙台へ移動。「アテネ・オリンピック壮行試合」でイタリアと対戦した。7月17日・18日の両日、「シェルコムせんだい」を会場に2試合を行い、大盛況のうちに終了した。
 7月24日、日本代表はJOC(日本オリンピック委員会)の壮行会を終え、静岡県伊豆市での国内最終調整合宿へ。8月2日、日本ソフトボール協会の結団式・壮行会を経て、翌3日、「決戦の地」アテネへと飛び立った。

 8月14日、アテネ・オリンピックが開幕。日本は初戦、オーストラリア戦で初回に相手の制球難から連続四球で押し出し。ノーヒットで2点を先制するという「幸運」に恵まれながら、結局、試合終了までノーヒットで追加点を奪うことができず……。「金メダル」の期待を一身に背負った「エース」上野由岐子が、ナタリー・ティッカム(2007年~2009年、日本リーグ・レオパレス21(現在は廃部)でプレー)に逆転本塁打を浴びる等、2-4で「悪夢」のような逆転負け。大事な初戦を落とし、黒星スタートとなった。

 続くチャイニーズ・タイペイ戦は6-0で快勝し、1勝1敗の五分の星に戻し、予選リーグ第3戦で「宿敵」アメリカとの「直接対決」を迎えた。アメリカはここまでの2試合、イタリア、オーストラリアにコールド勝ち。この猛威を振るうアメリカ打線を向こうに回し、先発・髙山樹里が「大胆不敵」なピッチングで7回までノーヒットの快投。しかし、日本打線もアメリカの「先発」キャット・オスターマン(2011年、日本リーグ・豊田自動織機でプレー)をとらえられず、わずか1安打。左腕特有のスライダーと逃げながら落ちるドロップ、同じ高さから浮き上がるローライズの組み合わせに手を焼き、三振の山。11三振を喫し、両チーム無得点のまま、試合は延長タイブレークに入った。
 アメリカは延長8回表、タイブレークの走者を手堅く送り、ロビアン・ジュンが髙山樹里のライズに食らいつき、ファウル、ファウルで粘った13球目、三塁ファウルグラウンドに力なく小飛球が上がり、「やっと打ち取った」と思った瞬間、太陽が目に入ったか、サード・宇津木麗華(現・日本代表ヘッドコーチ)がこれを落球。これで試合の流れが変わってしまったか……根負けした髙山樹里がロビアン・ジュンを四球で歩かせ、ケリー・クレッチマン(2018年・2019年に日本リーグ・デンソー、2020年には日本リーグ・戸田中央総合病院でプレー)がセンターフライ。日本はセンター・山田恵里の「強肩」にすべてを託したが……本塁送球がわずかに逸れ、三塁走者が生還。1点を失うと、気落ちした髙山樹里がジェシカ・メンドーサ、ジェニー・トッピング(2009年・2010年、2013年に日本リーグ・豊田自動織機でプレー)、ナターシャ・ワトリー(2009年~2016年、日本リーグ・トヨタ自動車でプレー)に3連打を浴び、さらに2点を失い、この回3点を奪われ、0-3の完封負け。手痛い2敗目を喫した。

 予選リーグ第4戦、カナダ戦は「必勝」を期してエース・上野由岐子が登板。オーストラリア戦での途中降板の屈辱を晴らそうと、気合い十分のピッチングを見せた。上野由岐子は120km/h近い快速球を武器に快調なピッチング。カナダ打線を寄せつけず、一人の走者も許さない「完全試合」ペースのピッチングを続けた。
 しかし……頼みの日本打線がチャンスは作るものの得点できず……。両チーム無得点のまま、延長タイブレークにもつれ込んだ8回表、カナダはタイブレークの走者を手堅く送り、次打者の打球は振り遅れのファーストゴロ。これがファースト・伊藤良恵の前で微妙にバウンドが変わり(記録はエラー)し、カナダが先取点を挙げた。
 日本はその裏、同じくタイブレークの走者を手堅く犠打で三塁へ進め、斎藤春香(後の2008年、北京オリンピックヘッドコーチとして金メダルを獲得/当時は「斎藤」と表記。現在は「齋藤」と表記している)、山路典子(現・日本代表コーチ)のバットに期待がかかったが……あえなく連続三振。「まさか……」の3敗目を喫してしまった。
 これで通算成績1勝3敗……金メダルどころか、決勝トーナメント進出すら危うい状態に追い込まれた。この試合が終わった後、各国のメディアが集まるプレスセンターは「異様な雰囲気」に包まれていた。日本の「金メダル」を期待し、決勝戦の中継を担当することになっていたテレビ局のスタッフは顔面蒼白にして怒り心頭。「日本とアメリカの『2強』、決勝進出は確実じゃなかったのか!?」「日本はいったいどうしたんだ……」怒号と絶望の呟きが渦巻き、日本から大挙して駆けつけた報道陣・メディア関係者の「絶望」と「焦燥」がプレスセンターの「空気」を限りなく重くしていく……。「金メダルだけ」を期待されて戦うことの意味、その「プレッシャー」の重さ、大きさが、選手たちを、チームを、がんじがらめにしている。そう感じずにはいられない雰囲気だった。

 続くギリシャ戦に6-0と大勝し、イタリアにも1-0の辛勝。どうにか3勝3敗まで星を戻し、予選リーグ最終日を残し、ここまでの順位は6戦全勝のアメリカが1位。これに5勝1敗のオーストラリアが続き、3勝3敗の日本と中国が3位。2勝4敗のカナダ、ギリシャ、チャイニーズ・タイペイが続き、1勝5敗のイタリアが最下位という順位に。

 日本は最終戦の中国戦に勝てば、4勝3敗の3位で決勝トーナメント進出が決まる。しかし、この試合に敗れ、カナダが最終戦のイタリア戦に勝ち、3勝4敗の同率に並ばれれば、「直接対決」でカナダに敗れている日本の「決勝トーナメント進出」の道は閉ざされ、「予選リーグ敗退」が決まってしまう。もはや中国に勝つしか道は残されていない。プレッシャーのかかる一戦……。「金メダルへの道」が再び開かれるか否か、すべては最終戦の中国戦の「結果次第」となった。

 予選リーグ最終日、第1試合でカナダがイタリアに1-0で勝ち、通算成績を3勝4敗とし、第4試合の日本戦の結果次第で「4位」に滑り込み、決勝トーナメント進出する可能性を残した。

 第2試合では、アメリカがチャイニーズ・タイペイを3-0で下し、7戦全勝。予選リーグ1位通過を決め、敗れたチャイニーズ・タイペイは通算成績2勝5敗となり、予選リーグ敗退が決まった。

 第3試合では、オーストラリアがギリシャに2点を先制されながら2本のホームランで3-2の逆転勝ち。オーストラリアが6勝1敗の2位で決勝トーナメント進出を決め、敗れたギリシャは地元の熱い声援も空しく、通算2勝5敗。予選リーグで姿を消した。

 いよいよ第4試合に日本が登場。同じく3勝3敗の中国と対戦。同率に並んでいるとはいえ、中国はこの試合に敗れても4位で決勝トーナメントへ進めるのに対し、日本はカナダとの「直接対決」に敗れているため、この試合に敗れるようなことがあれば「5位」に転落。「予選リーグ敗退」が決まってしまう。
 日本の先発は上野由岐子。中国を相手に2002年の「第10回世界女子選手権大会」アテネ・オリンピック出場を決めた試合、このアテネ・オリンピック直前の「カナダカップ」と中国を相手に2度も「完全試合」を達成している。「2度あることは3度ある」とよく言われるが、まさかこの「大事な一戦」でその「3度目」の偉業達成を目の当たりにすることになろうとは……誰が予想しただろうか。
 上野由岐子が快調なピッチングを続ける一方、打線は相変わらずチャンスは作るが「あと一本」が出ない。初回の無死二塁、2回裏の一死一・二塁、3回裏の一死二・三塁と立て続けにチャンスを逃す。ようやく5回表、山田恵里がセンター前ヒット。三科真澄の送りバントが内野安打となり、無死一・二塁としたが、伊藤良恵、山路典子が倒れて二死となり、「またしてもチャンスを逃したか……」と「希望」が「失望」に変わりかけたとき、宇津木麗華がその重苦しい空気を引き裂き、レフト前へタイムリー。「主砲」のバットがようやく火を噴き、待望の先取点を挙げた。日本は6回裏にも、山田恵里の犠牲フライで2点目。貴重な追加点を挙げ、勝利を決定づけた。
 この日の上野由岐子には2点のリードは十分すぎた。MAX117km/hの快速球が唸りを上げ、絶妙な間合いでチェンジアップを配していく、まさに「パーフェクト」なピッチング。最後の打者をセカンドゴロに打ち取り、「オリンピック史上初」の「完全試合」を達成。絶体絶命の窮地に追い込まれ、「負ければ予選リーグ敗退」が決まる大事な一戦で事も無げに「完全試合」の「偉業」を成し遂げ、決勝トーナメント進出を決めた。

 予選リーグ3位で決勝トーナメント進出を決めた日本は、予選リーグ4位の中国と再び対戦。一時は「予選リーグ敗退か……」と心配された日本だったが、何とか決勝トーナメントの舞台まで辿り着いた。
 この試合に勝てば銅メダル以上が確定。アメリカ(予選リーグ7戦全勝の1位)対オーストラリア(6勝1敗の2位)の敗者と「ブロンズメダルゲーム」(3位決定戦)で決勝進出をかけ、対戦することになる。
 日本は予選リーグの最終戦となった中国戦で「完全試合」を達成した上野由岐子が先発。中国戦は過去3度も「完全試合」を達成している「相性のいい相手」だけに、マウンドに立つ姿にも「自信」が感じられた。
 3回表、日本は一死から山田恵里が左中間へ三塁打。続く内藤恵美の打席でスクイズを仕掛けるが、これがピッチャーの正面に転がり、三塁走者・山田恵里が本塁タッチアウト。惜しいチャンスを逃すと、その後も毎回のようにチャンスを作りながら決定打が出ず、重苦しい試合展開のまま、試合は延長タイブレークへともつれ込んだ。
 日本は延長8回表、タイブレークの走者を二塁に置き、伊藤良恵がピッチャー前に強めのプッシュバントを転がし、一死三塁。山路典子のバットに期待がかかったが、ピッチャーゴロに倒れて二死となり、またしてもチャンスを逃したかと思われたが、「主砲」宇津木麗華が「執念」の決勝打。予選リーグ最終戦に続き、勝負どころで貴重な一打を放った。
 その裏、中国も必死に反撃。タイブレークの走者を手堅く三塁へ送り、次打者がセンターフライを打ち上げ、「同点か……」と思われた次の瞬間、センター・山田恵里の「レーザービーム」が炸裂。ホームを死守するキャッチャー・山路典子のミットに糸を引くような送球が返り、本塁寸前タッチアウト。劇的な幕切れで日本が勝利を収めた。
 日本はこれで銅メダルが確定。アメリカに敗れて「敗者復活戦」に回ってきたオーストラリアと「ブロンズメダルゲーム」(3位決定戦)で決勝進出をかけ、対戦することになった。

 勝って「決勝」で「金メダル」をかけてアメリカと再び戦う。シドニー・オリンピックからの4年間、追い求めてきた「金メダルへの夢」をかけ、日本はオーストラリアと対戦。オーストラリアの先発は予選リーグの初戦で1回途中からリリーフに立ち、日本打線をノーヒットに抑えたターニャ・ハーディング(1996年~2000年、日本リーグ・ミキハウス(現在は廃部)、2006年・2007年は佐川急便(現・SGホールディングス)でプレー)。日本は「エース」上野由岐子の「連投」ではなく、オリンピック3大会連続出場、オリンピック通算「8勝」を挙げている「百戦錬磨」の髙山樹里を先発に立て、その「右腕」にすべてを託した。
 しかし……両チーム無得点で迎えた5回表、オーストラリアはこの回先頭のシモンヌ・モローがレフト線へ痛烈な当たり。レフト・佐藤由希が回り込んでこれを抑えたかに見えたが……まさかのトンネル。無死三塁のピンチを招き、一死となった後、連続四死球で満塁。ケリー・ワイボーンが満塁の走者を一掃する二塁打を放ち、オーストラリアが3点を先制。日本の「金メダル」が遠ざかる……。
 日本はその裏、佐藤由希の死球、山田恵里のピッチャー強襲安打で二死一・二塁の反撃機を作ったが、「あと一本」が出ず……。7回裏にも三科真澄が二塁打を放って得点圏に走者を進めたが、後続なく、試合終了。「決勝」でのアメリカとの「再戦」は叶わず……銅メダルに終わった。

 これで一つの「時代」が終わった。シドニーからはじまった金メダルへの挑戦の物語の「第一幕」は静かにその幕を閉じた。
 オリンピックで「金メダルだけ」を期待され、その期待通りに「金メダルを獲ること」がどれほど難しいことか、どれだけのプレッシャーを背負い、戦わなければならないのか、このアテネ・オリンピックが教えてくれた。
 オリンピックでの「借り」はオリンピックで返すしかない。自分たちが立つはずだった決勝戦の舞台をスタンドから虚ろな目で見つめながら佇む選手たち。グラウンド上では、アメリカがオーストラリアを圧倒し、「主砲」クリストル・ブストスの2本塁打等で5-1と圧勝。3大会連続の「金メダル」を手にしていた。

 「金メダル獲得」を「公言」していたチームである。それだけに「決勝」に辿り着くことができず、「金メダル」どころか決勝の舞台で「宿敵」アメリカと対戦することすら叶わず、「銅メダル」に終わったショックは計り知れないほど大きかった。

 それでも……戦いはまたはじまる。今度は「北京」に向けてイチからのスタートとなる。選手の大半は入れ替わることになるだろう。アテネ・オリンピックが残してくれた「教訓」。それは、どれだけの「準備」を積み重ねても、どれだけの「思い」を持って戦っても、それだけで勝たせてくれるほど「勝負の世界は甘くない」「オリンピックの舞台は甘くない」ということであった(北京編に続く)。

(公財)日本ソフトボール協会 広報
株式会社 日本体育社「JSAソフトボール」編集部 吉田 徹

2004年 アテネ・オリンピック 出場メンバー・スタッフ

選手

No. 守備 氏名 所属 背番号
1 投手 髙山樹里 豊田自動織機 18
2 坂井寛子 戸田中央総合病院 21
3 上野由岐子 日立&ルネサス高崎 17
4 坂本直子 日立&ルネサス高崎 12
5 捕手 山路典子 太陽誘電 25
6 乾絵美 日立&ルネサス高崎 23
7 内野手 伊藤良恵 日立&ルネサス高崎 19
8 宇津木麗華 日立&ルネサス高崎 28
9 内藤恵美 豊田自動織機 4
10 三科真澄 日立&ルネサス高崎 3
11 佐藤理恵 レオパレス21 5
12 外野手 佐藤由希 レオパレス21 15
13 山田恵里 日立ソフトウェア 11
14 斎藤春香 日立ソフトウェア 26
15 岩渕有美 日立&ルネサス高崎 7

※氏名、所属は大会出場当時のもの

スタッフ

No. 役職 氏名 所属
1 ヘッドコーチ 宇津木妙子 日立&ルネサス高崎
2 コーチ 浦野光史 太陽誘電
3 コーチ 小林良美 日立&ルネサス高崎
4 ドクター 小松裕 JOC専任ドクター
5 トレーナー 古川雅貴 日本ソフトボール協会
6 トレーナー 齋藤容子 日本ソフトボール協会

※氏名、所属は大会出場当時のもの

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