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東京2020オリンピック「直前企画」
オリンピックにおける「ソフトボール競技」戦いの軌跡
第2回 1996年アトランタ・オリンピック(後編:手にしたはずの「メダル」を逃し、惜しくも4位)

1996年、アトランタ・オリンピック直前の「壮行試合」の集合写真には宇津木麗華選手の姿が……(最後列、左から3番目)

アトランタ・オリンピックのソフトボール競技の「選手村」は陸軍基地が「選手村」となった

1996年アトランタ、「夢の舞台」での戦いがはじまった

宇津木麗華選手のオリンピック出場を認めなかった中国に3-0と快勝! メダル獲得が「現実」になろうとしていた

チーム最年少の髙山樹里が3勝を挙げる大活躍!「エース」としてチームを支え、引っ張った

メダル獲得へ! スタンドも一体となって声援を送った

オーストラリアに敗れ、メダルに届かず……4位で終戦

 突然、「指揮官」を失ってしまった代表チームの次期ヘッドコーチの選定は難航した。次期ヘッドコーチを審議・選定する理事会の会議写真(グラスが積み上がり、煙草の吸殻が山盛りとなった灰皿等が長時間わたり会議が行われたことを物語っていた)がスポーツ新聞の一面を飾ったこともあった。それでもようやく2月3日、女子強化委員会を招集し、6名の候補者を選出。2月7日、「平成7年度第6回理事会」に先立って行われた選手強化本部会に最終決定を委ねる形となった。選手強化本部会では、「総監督」を務めていた鈴村光利総監督をヘッドコーチとする案で意見が一致。その日の理事会に提出されたが、慎重な議論が必要との判断から、この日の決定は持ち越され、2月25日に改めて「臨時理事会」が招集され、この席上でアトランタ・オリンピックに臨むコーチングスタッフの陣容を正式決定。これまで「総監督」を務めていた鈴村光利氏をヘッドコーチとする提案が承認され、「総監督」的な役割として新たに「チームリーダー」の役職が設けられ、1986年の「第6回世界女子選手権大会」で日本代表のヘッドコーチを務めた吉野みね子氏、コーチに1991年の「第4回世界女子ジュニア選手権大会」で日本を「世界一」へと導き、前年(1995年)の「第5回世界女子ジュニア選手権大会」でも準優勝の好成績を残した長沢宏行氏が「コーチ」として加わり、福島泰史、宇津木妙子(現・日本ソフトボール協会副会長)両コーチとともに、チームを支えることになった。

 選手にも、中国から帰化した宇津木麗華(現・日本代表ヘッドコーチ)に加え、1995年の「第5回世界女子ジュニア選手権大会」で準優勝、「エース」として活躍した髙山樹里が招集される等、急ピッチでオリンピック「本番」へ向けた陣容が整えられていった。

 1996年5月16日~21日、中国・北京で開催された「北京国際大会」では、「新たな主砲」宇津木麗華が大当たり。快打を連発し、大活躍を見せたものの、チームはオーストラリア、中国どころか、プエルトリコにも敗れ、参加4チーム中、最下位。大幅なテコ入れを行ったにも関わらず、チームに「明るい兆し」は見えなかった。

 同年5月24日~26日、オーストラリアを招き、「アトランタ・オリンピック壮行試合」を実施。東京(世田谷区・駒沢野球場)、神奈川(伊勢原市・伊勢原球場)、群馬(前橋市・前橋市民球場)を転戦。3試合を行い、2勝1敗。アトランタ・オリンピック前、最後の国際大会を終えた。

 この間、日本に帰化し、アトランタ・オリンピック出場をめざしていた宇津木麗華の「オリンピック参加資格問題」が浮上。オリンピック憲章に「帰化して3年を経過していない選手のオリンピック出場には元の国籍を有していた国の承認が必要」の条項があり、最後までギリギリの折衝・交渉が続けられたものの、中国の承認を得られず……大会直前になって、オリンピック出場を断念せざるを得ない状況に追い込まれた(最終的に宇津木麗華に代わり、吹田育子が代表選手となった)。

 アトランタ・オリンピックは7月21日に開幕。ホスト国のアメリカ、1994年の世界選手権で出場権を獲得した中国、オーストラリア、カナダ、チャイニーズ・タイペイに加え、ヨーロッパ・アフリカ大陸予選を勝ち抜いたオランダ、アメリカ大陸予選を制したプエルトリコ、アジア・オセアニア大陸予選で「奇跡的」な勝利をつかんだ日本(大会出場メンバーはこちら)の8チームが、ソフトボール競技が初めて実施される「オリンピック」の夢舞台に立つことになった。
 この時期、「テロ」が疑われるビル爆破事件、航空機爆発・墜落事件等、物騒なニュースが続いたが、幸か不幸か、ソフトボール競技の会場となったジョージア州コロンバスは主会場のアトランタ市街からは遠く離れ、ソフトボール競技の選手村は「陸軍基地」の中とあって、セキュリティは「万全」だった。

 日本は初戦でオランダと対戦。日本は「チーム最年少」の髙山樹里を「開幕投手」に抜擢し、オランダ打線を抑えていたが、日本打線も6回まで無得点。最終回、藤本佳子が「弾丸ライナー」でライトスタンドへ突き刺す先制のソロホームランを放ち、試合の均衡を破ると、山路典子、持田京子にも本塁打が飛び出し、1イニング3本塁打の「一発攻勢」で3点を挙げ、髙山樹里が被安打2・奪三振7の力投でオランダ打線に最後まで得点を許さず、3-0の完封勝利。大事な初戦を勝利で飾った。

 続く第2戦は「因縁」の中国戦。日本の先発は左腕・渡辺伴子。毎回のように走者を背負いながらも粘り強いピッチングで要所を締め、バックも好守を連発。両チーム無得点のまま、迎えた6回裏、原田教子のバント安打、井上真由美のバントシフトの「逆」を突くバスター、藤本佳子の四球等で一死満塁とし、山路典子(現・日本代表コーチ)が中国の「エース」王麗紅(1996年~1999年、日本リーグ・日通工(現在は廃部)でプレー)の初球を狙い、二者を還すレフト前タイムリー。「キャッチャーらしく」相手の配球を読み切った打撃で待望の先取点を挙げると、この回さらにもう1点を追加。3-0で快勝し、帰化してまで「オリンピック出場」を夢見ながら、それが叶わなかった宇津木麗華の「無念」を晴らし、有力な「メダル候補」の一角を倒す「大金星」。夢の「メダル獲得」へ大きく前進した。

 快調に連勝を飾った日本は、予選リーグ第3戦で「ホスト国」であり、「金メダル」の最有力候補に挙げられているアメリカと対戦。先発・小林京子がいきなりスリーランを浴び、初回に3失点。当時、日本リーグ・豊田自動織機でプレーしていたミッシェル・スミス(1993年~2008年、豊田自動織機に所属)に4回まで無得点に抑えられていた日本は、5回表、斎藤春香(後の2008年北京オリンピックヘッドコーチとして金メダル獲得/当時「斎藤」と表記。現在は「齋藤」と表記している)がソロホームランを放ち、2点差としたが、6回裏、アメリカの「エースで4番」リサ・フェルナンデス(後に1998年・1999年の2シーズン、日本リーグ・トヨタ自動車でプレー)にダメ押しのスリーランを浴び、1-6で敗れ、初黒星を喫した。

 2勝1敗で迎えた第4戦はカナダと対戦し、初回に藤本佳子のタイムリーツーベースで先取点を挙げ、4回裏には塚田恵美のツーランホームラン、児玉千佳、松本直美の連続長短打で3点を加え、有利に試合を進めると、先発・髙山樹里が2試合連続の完封。4-0で3勝目を挙げ、通算成績を3勝1敗とした。

 第5戦はオーストラリアと対戦。「メダル候補」に挙げられていたオーストラリアは、開幕初戦で同じくメダルを争うと見られた中国と対戦し、0-6と大敗。3戦目のプエルトリコ戦で「まさか……」の完封負け(0-2)を喫してしまい、この時点ですでに2敗。日本はこのオーストラリアとの「直接対決」に勝てば、4勝1敗となり、オーストラリアは「3敗目」となるため、「夢のメダル」へ限りなく近づくことになる。
 しかし……この大事な一戦、4回まで0-0で進んだものの、5回表に集中打を浴び、4失点。最終回にも6点を失い、0-10で大敗を喫し、2敗目。ただ、それでも日本は中国戦に勝利していること、オーストラリアがアメリカ戦を残していることを考えれば、日本の有利は変わらないと思われた。
 オーストラリア戦の大敗後、現地のチームスタッフから日本のルール委員会宛てに、一本の国際電話が入った。「同率で並んだ場合の順位決定はどうなるのか???」順位決定に関するルールについて照会の電話だった。日本の中国戦の勝利とオーストラリアのプエルトリコ戦の敗戦で「ほぼメダル確定」の状況となり、このオーストラリア戦との「直接対決」に勝ってさえいれば、それをさらに「確実なもの」できていたのだが……にわかに雲行きが怪しくなり、不幸にもその「嫌な予感」は的中することになる。

 予選リーグ第6戦、日本がプエルトリコに斎藤春香(後の2008年、北京オリンピックヘッドコーチとして金メダル獲得/当時は「斎藤」と表記していた。現在は「齋藤」と表記している)のオリンピック史上初にして、今後破られることはないであろう「3打席連続本塁打」等で8-1と大勝。通算成績を4勝2敗とした。
 前日、日本に大勝したオーストラリアは、「金メダル最有力」候補に挙げられ、ここまで5戦全勝のアメリカと対戦。アメリカが5回表、オーストラリアの「先発」ターニャ・ハーディング(1996年~2000年、日本リーグ・ミキハウス(現在は廃部)、2006年・2007年は佐川急便(現・SGホールディングス)でプレー)からダニエル・タイラーが先制のソロホームラン。待望の先取点を挙げたかに見えたが……喜びのあまり本塁を踏み忘れ、「幻」の本塁打となってしまう。
 試合はそのまま両チーム無得点で延長戦に入り、アメリカの「エース」リサ・フェルナンデスは9回まで一人の走者も許さぬ「パーフェクトピッチング」。延長10回、タイブレークに入り(当時のルールでは延長8回・9回を無走者の状態(通常のイニングと同じ状態)で行った後、10回からタイブレーク(無死二塁の状況を設定)を採用していた)、アメリカが1点を先制。その裏、アメリカの「絶対的エ-ス」リサ・フェルナンデスがオーストラリア打線の前に仁王立ち。連続三振でタイブレークの走者を進めることすら許さず二死となり、「最後の打者」ジョアン・ブラウンをワンボール・ツーストライクと追い込み、三者連続三振でのフィナーレ、アメリカの勝利を誰もが確信していた。しかし……「勝負」に行ったドロップが高めに浮き、ジョアン・ブラウンのバットが一閃。満員の観客の歓声が悲鳴に変わる中、打球はスタンドへと消えていった。「奇跡」の逆転サヨナラホームランで勝利したオーストラリアが2敗を守り、この奇「跡的な一発」で日本の優位は吹き飛んでしまった。

 予選リーグ最終日、まず第1試合でオーストラリアがカナダに5-2で勝利し、通算成績5勝2敗で予選リーグ全日程を終了。第2試合では、アメリカが中国を3-2で破り、6勝1敗で1位通過確定。敗れた中国も5勝2敗となり、オーストラリアと並んだ。第4試合でチャイニーズ・タイペイと対戦した日本は、山路典子、吹田育子、児玉千佳の3本塁打等で5-1と快勝。5勝2敗で予選リーグを終え、オーストラリア、中国と並び、3チーム同率となった。
 大会規程により、同率で並ぶ3チームの「直接対決」の結果で順位を決定することになったが、まず勝敗は3チームとも1勝1敗で決着つかず。次に直接対決での「失点差」(直接対決2試合での失点の合計)での争いとなり、失点3の中国が2位、失点6のオーストラリアが3位、失点10の日本が4位となり、決勝トーナメント進出の4チームの順位が確定した。
 予選リーグ1位のアメリカと2位の中国の「メダル」が確定し(ページシステムではシステム上、上位2チームは決勝トーナメントで3位以下になることはないため、この時点でメダルが確定)、決勝進出をかけ、対戦。予選リーグ3位のオーストラリアと4位の日本が対戦。勝てば「メダル」が確定し、1位・2位戦の敗者と対戦することになる。

 決勝トーナメント初戦、日本はオーストラリアとの「メダルをかけた大一番」に臨み、予選リーグで2試合連続の完封を含む「3勝」を挙げ、一躍「エース」となった「チーム最年少」の髙山樹里を先発に起用。チームの「命運」を託した。髙山樹里は4回まで無失点の好投を見せたものの、5回表、7回表に手痛い「一発」を浴び、0-3の完封負け。惜しくも「メダル」には手が届かず、4位でソフトボール最初のオリンピックを終えた。

 大会は、中国を1-0の完封で破ったアメリカが一足先に決勝進出。敗者復活戦に回った中国が、「ブロンズメダルゲーム」(3位決定戦)で、日本を破って勝ち上がったオーストラリアに4-2で競り勝ち、敗れたオーストラリアの銅メダルが確定。決勝はアメリカと中国の「再戦」となったが、アメリカが「整形外科医にしてオリンピック代表選手」のドット・リチャードソンの本塁打等で3点を奪い、ミシェル・グレンジャー、リサ・フェルナンデスとつなぐ投手リレーで3-1と勝利を収め、金メダルを獲得! ソフトボールが初めてオリンピック競技となった記念すべき大会の「頂点」に立ち、「星条旗よ永遠なれ」の大合唱の中、メインポールにその「星条旗」が誇らしげに掲げられた。

(公財)日本ソフトボール協会 広報
株式会社 日本体育社「JSAソフトボール」編集部 吉田 徹

1996年 アトランタ・オリンピック 出場メンバー・スタッフ

選手

No. 守備 氏名 所属 背番号
1 投手 渡辺正子 太陽誘電 16
2 髙山樹里 日本体育大 18
3 渡辺伴子 デンソー 12
4 小林京子 日立高崎 14
5 捕手 山路典子 太陽誘電 25
6 持田京子 日本体育大 22
7 内野手 斎藤春香 日立ソフトウェア 26
8 児玉千佳 太陽誘電 21
9 原田教子 トヨタ自動車 5
10 安藤美佐子 太陽誘電 6
11 吹田育子 日立工機 15
12 外野手 井上真由美 デンソー 1
13 塚田恵美 トヨタ自動車 8
14 松本直美 日立高崎 9
15 藤本佳子 東京女子体育大 24

※氏名、所属は大会出場当時のもの

スタッフ

No. 役職 氏名 所属
1 チームリーダー 吉野みね子 東京女子体育大
2 ヘッドコーチ 鈴村光利 トヨタ自動車
3 コーチ 長沢宏行 夙川学院高
4 宇津木妙子 日立高崎
5 トレーナー 武藤幸政 城西大
6 総務 藤井まり子 日本ソフトボール協会

※氏名、所属は大会出場当時のもの

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