2015.10.10
 

 

天城ドームに
歴代オリンピック出場時の
女子日本代表ユニフォームを展示!



女子日本代表の「強化拠点」である静岡県伊豆市・天城ドームに
オリンピック4大会で使用された歴代ユニフォームが展示された



1996年アトランタオリンピックではメダルに届かず、4位



2000年シドニーオリンピックでは「限りなく金メダルに近い銀メダル」



2004年アテネオリンピックでは銅メダルを獲得!



2008年北京オリンピックでは「悲願」の金メダルを獲得!
2020年東京オリンピックで「新たな歴史」を加えてほしい!!

 女子ソフトボール日本代表をはじめ、各カテゴリーの強化合宿、日本代表選手の選考会の会場として頻繁に利用されており、ソフトボール日本代表の輝かしい歴史を側面から支え続けている静岡県伊豆市・天城ドームに、1996年アトランタオリンピック、2000年シドニーオリンピック、2004年アテネオリンピック、2008年北京オリンピックに出場した際の女子日本代表のユニフォームが展示された。

 1996年のアトランタオリンピックでは、ともかくすべてが「初めての経験」で、オリンピックという大舞台に戸惑いながらも懸命に戦い、予選リーグでは、当時「王座」に君臨し続けるアメリカに肉薄していた中国を破る「大金星」を挙げ、同じくサッカーで日本がブラジルを破り、世界を驚かせたこともあり、それと並ぶ「サプライズ」として、大きく報道された。結果的には、そんな「大金星」を挙げながら、予選リーグは5勝2敗、中国、オーストラリアと同率に並び、4位で決勝トーナメント進出。決勝トーナメントの初戦で予選リーグ3位のオーストラリアに敗れ、メダルに手が届きかけながら、4位に終わる「悔しさ」を経験した。

 2000年のシドニーオリンピックでは、「ソフトボール界のカリスマ」宇津木妙子ヘッドコーチに率いられたチームが予選リーグから連戦連勝。当時、公式戦112連勝と「無敵」の強さを誇ったアメリカも破り、予選リーグを7戦全勝の1位で通過し、決勝トーナメントでも予選リーグ2位のオーストラリアを破り、決勝進出。無敗のまま、金メダルを手にするかと思われたが、惜しくもアメリカに逆転負けを喫し、この大会唯一の敗戦で銀メダルに終わり、「限りなく金メダルに近い銀メダル」といわれた。

 2004年のアテネオリンピックでは、シドニーでの「限りなく金メダルに近い銀メダル」があったこともあり、「今度こそは金メダル!」「次は金メダルしかいない!!」とかついてないほどの期待の高まりと、オリンピックで「金メダルを狙う!」という初めての経験、大きなプレッシャーの中で懸命に戦ったが、「常勝」アメリカの「牙城」は崩せず、「宿敵」と決勝で再戦するという願いも叶わぬまま、ブロンズメダルゲーム(3位決定戦)でオーストラリアに行く手を阻まれ、2大会連続のメダル獲得は果たしたものの、銅メダルにとどまった。

 2008年の北京オリンピックでは、予選リーグ、決勝トーナメントセミファイナルでアメリカに二度にわたって敗れたものの、「エース」上野由岐子の決勝トーナメント2日間、3試合で413球の「熱投」もあり、決勝進出を果たし、決勝では「無敵」「史上最強」の名をほしいままにしていたアメリカを相手に、狩野亜由美のタイムリー内野安打で1点を先制し、アメリカの「エース」キャット・オスターマンの「クセ」を読み切った「ソフトボール界のイチロー」山田恵里が貴重な追加点となるソロホームランを放ち、2点目。3連投の「鉄腕」上野由岐子がアメリカの「主砲」クリストル・ブストスにソロホームランを浴び、1点差に追い上げられたが、代わったモニカ・アボットから藤本索子が「執念」のヒットエンドランを決め、勝負を決める3点目。このリードを「エース」上野由岐子の冷静なピッチングと「世界一」と評された「鉄壁」の守備で守り切り、3−1で勝利。「悲願」の金メダル獲得を遂げたことは今もなお色褪せぬ感動を残している。

 天城ドームには、その4大会で使用されたユニフォームが誇らしげに展示され、その右端が空けられている。2020年東京オリンピックで、ソフトボールが正式種目に復活し、再びオリンピックの舞台でソフトボールが行われたとき、そのたくさんの感動と多くの物語とともに、新たなユニフォームが掲げられ、ソフトボールにまた一つ「新たな歴史」が加わることになる。一日も早く、「その日」がくることを信じ、期待したい。